top of page
スクリーンショット 2022-12-20 2.30.08.png

oono yuuki

土砂降りの夜家に帰ると麓健一から新しいCDが届いていた。雨の夜に聴いたからかはわからないけど、この作品からは水の中のような深い青色を感じます。彼が自身のルーツについて書いた文章の中で「水路」という言葉を使っていたことも心に残っていたのかも。4曲目のこもったリズムマシンの音も、まるで海の底で鳴っているみたいですね。あと、「振り返る家元」なんて歌詞は絶対誰にも書けないと思う。アルバム発売、おめでとうございます。

 

澁谷 浩次
(yumbo)

間違ってたらごめんなさい。麓君は確か、「ベーシック録音に参加した後は、その録音を石橋さんに託してあとはお任せしたんです、だから自分でもどんなアルバムになるのか分からない」と言っていたと記憶しているんですが、それが事実だとしたら、それってほぼシド・バレットだよねと戦慄したものだけど、このアルバムを、友情や信頼関係と芸術上の賭けの相克というレベルで語る安易さだけは避けたい。これらの楽曲のイメージに溶け込んだ演奏者たちの身体的な記憶が損なわれないよう、最大限に配慮されたミックスが、更に僕をエキサイトさせた。身体とイメージが固く手を繋いでそこに実在することを感じさせる音楽──音楽じゃなくてもいいが──、そのような音楽がなおも何ごとか語りかけ、我々の鼓膜や目玉や心臓と関係を保ち、生き抜くための手助けをしてくれる可能性があることを、このアルバムは教えてくれるのだ。

Mumu Funaki
(painter / 前作『コロニー』にアートワークを提供)

これは堂々としたアルバム。

世界の果て、ね。

頭で考えたようなことも、どうにもならない「何か」も、音楽はちゃんと捉えている。

君が思うよりずっとずっとね。

良いとか悪いとか簡単に言えないな、と思ってたけど……うん、良いと思いますよ。

好きですよこのアルバム。

完成おめでとう、おかえりなさい。

はくる

彼の音楽を聴いていると、どんなに無難に暮らしているつもりでもいずれ必ず頭をもたげるほころびと、最短距離でピントが合う。これは決してネガティヴな印象ではなく、そのほころびの正体を見据えて作品に落とし込む彼のやり方によって、聞き手である我々の視界を明瞭化し、息継ぎの場所を与えてくれているように思う。
まさにこの新しいアルバムは、かつてのわたしの個人的な悲しみをやすやすと照らし出し、それを裏打ちとして隙間風から守ってくれたまなざしとの再会だった。そこに石橋英子さんのプロデュースが共鳴し、しっとりと余韻を増幅させている。それぞれの曲に、目を逸らせない生活の矛盾や切実さがあり、不在の気配が色濃く漂い、また同時に世界のうつくしい側面が光っている。掻き乱されるようでいて、むしろたましいの水準器のような作品群。

豊田 道倫

麓健一は、実はなかなかのおっちょこちょいな人間である。

機材を集めては、生活破綻して全部売り飛ばしたり、突然ツイッターを始めたかと思えば、ヒマなおじさんみたく饒舌に語り始めたり、大阪の市井の現状を知らないのに維新の会を憎んでいたり、ライブのギャラを2週間前から前借りしたり。

 

その、おっちょこちょいな面は見事に完全に隠れたこのアルバムは、巷の良質な名盤の一つに数えられるだろう。

 

ロックの歴史はおっちょこちょいのロッカー達によって作られた。

ディランもレノンもヤングも、なかなか振り幅がある。

理性より野性の勘で生き抜いて、表現してきた。

 

理不尽で不毛で正解も救いもない世界で生きてゆくために、ロックが必要な時代はたしかにあった。

 

麓健一ならやってくれる。

この綺麗にトリートメントされたアルバムの奥から聴こえる、少し歪んだギターを聴いていると、期待はまだ保たられている。

古谷野 慶輔
(空間現代)

麓健一の歌を聴くとき、2つ以上の何かが常に同時にそこに起こります。喜びながらあきらめ、恥ずかしく怒りつつ、情けなく笑っていた自分、でない人もいたらしいという思い出を思い出すような…?

 

歌が歌われたところへ彼方からの音があり、録音にしかない、現実でないような場所が「3」にはあって、本当とは?嘘とは?というのを優しくも突きつけられるように感じます。

何を答えたらいいのでしょうか? これからまた何度も再生したいと思います。

Yun Teshin

​Yun Teshin

かすれた声のOKテイク。寓意的なイメージと直截簡明な欲求の間を蜃気楼のようにゆらゆらと行ったり来たりする歌詞。明確で澄んでいて、隣人に語りかけるような身近さを感じさせるサウンド。もう二度とアルバム作らないんだろうなあとか勝手に思っていた麓健一の新しいアルバムが届いた。

 

「また◯◯をしてしまう」というモチーフを麓くんはいくつかの曲で繰り返し歌った。離散や訣別をしたはずの「何か」を「また」繰り返してしまう。それは愚かさなのか哀しさなのか。とにかく「それ」に猟犬のようにあとを追われ、逃れられない。

 

しばしば繰り返される愚かさや哀しさと再び対峙する時、我々は以前と同じ場所には立っていない。優秀な猟犬に追いかけられながら、複雑な渦巻き状の迷路のような人生の中で、ささやかながらもしっかりと麓健一は立っている。ぼくもそうだ。きみはどうだ。

2022年12月21日発売

Produced by 石橋英子

 Mixed and Mastered by

 ジム・オルーク

スクリーンショット 2022-12-21 4.55.41.png

Notes

bottom of page